科学万博つくば’85(国際科学技術博覧会/EXPO’85)で、国鉄常磐線に臨時に設置された万博中央駅。
万博終了後、壊されてしまった駅舎跡には「記念碑」が設置されました。
科学万博閉幕の1985年(昭和60年)から13年後の1998年(平成10年)、万博中央駅とほぼ同じ場所にひたち野うしく駅が建てられた時、その「記念碑」の行方が分からなくなってしまいました。
茨城県立図書館 2階の郷土資料コーナーを散策
茨城県立図書館(茨城県水戸市)内はとても広く、1階には雑誌や新聞のコーナーがあります。
科学万博つくば’85か常磐線 万博中央駅の資料を探すため、郷土資料が置いてある2階へ向かいました。
さすが「茨城県立」の図書館だけあって、書籍の数が多いです。
その中で、近いうちに牛久市立中央図書館で探す予定だった「牛久市史資料」を見つけてしまいました。
常磐線 万博中央駅跡地に設置された記念碑の場所
牛久市史資料の目次を探っていても、万博中央駅の記念碑らしきものがなかなか見つかりません。
この資料、地図からも検索できるので常磐線をたどり、旧・万博中央駅の辺りを探します。
すると、万博中央駅 跡地の辺りに「碑」のマークがついています。
常磐線 万博中央駅 跡地に設置された記念碑の写真
牛久市史資料の該当ページ。
目を疑いましたが、これが万博中央駅にあった「記念碑」です。
三角のシンボルマークがはっきりと見て取れます。
今までどんな形か分からなかったので、いろいろな形を想像していましたが、これで姿形がはっきりしました。
万博中央駅「記念碑」以外にも、重要な資料が続々と出てくる
常磐線 万博中央駅 跡地にあった記念碑の情報をGetしたので、すでに私の中では今回の訪問は十分な満足を得ておりました。
しかし、記念碑以外にも万博の基礎的情報をかなり得られました。
根本的に大切だと思ったのが、つくば科学万博の正式名称です。
「国際科学技術博覧会」。
そして、一般名称として、
「科学万博-つくば’85」
が上げられます。
この情報は、「科学万博ガイドブック」から得ることができました。
他にも、土浦駅前にあったモニュメントの写真も2つの資料から得られました。
この2つの写真は、後日UP予定です。
「交通新聞」は見つからなかった
「科学万博-つくば’85」関連の資料はたくさん発見できましたので、今度は本来の目的でもある「交通新聞」を見つけることです。
国鉄太郎さんの情報によると、「交通新聞」で「常磐線開業100周年記念特集」があり、そこに万博中央駅のことが触れているとの事。
1階の新聞・雑誌のコーナーに行き、探してみましたが見つかりません。
仕方なく、カウンターの方に調べてもらいました。
すると「交通新聞」は3年程前に取り扱いが終わっていて、現在では置いていないとの事でした。
残念です。
これはいずれ解決できるようにします。
このページは、2001年06月02日に取材した内容に基づいて書かれています。
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初出展時のタイトル
04 常磐線 万博中央駅の跡地に置かれていた記念碑の行方