「思い出の日立駅」~旧日立駅の駅舎

思い出の日立駅-旧日立駅の駅舎

「思い出の日立駅」~旧日立駅の駅舎

茨城県内で二番目に人口の多い、日立市。
常磐線 日立駅は東日本大震災のあった2011年(平成23年)に、新駅舎が運用開始となりました。設計は日立市出身の建築家、妹島和世。

開設当初は助川駅という名称でしたが、1939年(昭和14年)10月20日に日立駅に改称されました。

 

常磐線 JR日立駅

住所:茨城県日立市幸町1丁目1

 

JR日立駅 新駅舎

2011年(平成23年)03月より運用開始された、JR日立駅。
当初は2011年度中に工事終了予定となっていましたが、03月11日に発生した東日本大震災の影響により、開業は04月07日に延期されました。

日立駅 (新)中央口

常磐線 JR日立駅 中央口 (2011年 新駅舎開業)

常磐線 JR日立駅 中央口 (2011年 新駅舎開業)

 

日立駅 (新)海岸口

JR日立駅 海岸口

JR日立駅 海岸口

 

JR日立駅 旧駅舎

日立駅 (旧)海岸口

国鉄時代の助川駅(日立駅)は、もともとは「海岸口」が主たる駅でした。
助川駅は開業当初、線路の山側にあったそうですが、大正03年(1914)09月01日に海岸口に移転します。

日立駅(旧助川駅) 旧・海岸口 (2005年12月撮影)

日立駅(旧助川駅) 旧・海岸口 (2005年12月撮影)

 

日立駅 海岸口 駅構内(2005年12月撮影)

日立駅 海岸口 駅構内(2005年12月撮影)

日立駅 海岸口 前にあったキオスク(2005年12月撮影)

日立駅 海岸口 前にあったキオスク(2005年12月撮影)

 

日立駅 (旧)中央口

戦後、日立市の発展のためには「北側にも駅舎をつくらなくては!」との声が高くなり、昭和27年(1952)04月01日に“北側駅舎”を完成させます。のちの昭和36年(1961)04月01日に、「中央口」と呼ばれるようになります。

日立駅(旧助川駅) 旧・中央口 (2005年12月撮影)

日立駅(旧助川駅) 旧・中央口 (2005年12月撮影)

 

「思い出の日立駅」

2005年当時、日立駅構内に「思い出の日立駅」というお手製のポスターが掲示されていました。本ページの内容は、この「思い出の日立駅」ポスターをリスペクトした上で作成しており、文章は、このポスターから引用した上で、加筆・修正しております。

2005年当時、日立駅構内に掲示されていたポスター「思い出の日立駅」。

2005年当時、日立駅構内に掲示されていたポスター「思い出の日立駅」。

開業当時の日立駅

明治30年(1897)02月25日開業当時は、助川駅と命名されていました。当時、駅の周辺は東は断崖で海が迫り、西は一面の丘陸地で原野の様相を示していました。従って付近には人家もなく、さびしいところでした。しかし日本鉄道株式会社が上野から海岸沿いに鉄道を敷く用地買収に入りましたが、地元と地価が折りあわず、いろいろ紆余曲折があったと記録が残っています。

改札口が3つある駅

開業当時の助川駅は線路の山側にありましたが、大正03年(1914)09月01日に今の海岸口に移転しました。ところが線路を跨ぐ人道橋がなくては不便なため、大正05年(1916)10月に、橋上口のある橋ができ、橋上でもきっぷの販売をしてなかなかの盛況でした。
戦後、日立市の発展のためには「北側に駅舎を作らなくては」、との声が高くなり、昭和27年(1952)04月01日に北側駅舎を完成させました。これが中央口と呼ばれるようになったのは、昭和36年(1961)04月01日のことになります。

日立の鉱山電車

日立鉱山が助川駅と大雄院間(約3キロ)に鉱石運搬用の電気鉄道を開通させたのが、明治41年(1908)10月27日でした。その後、貨物車と客車を連結する方式もとってお客さんを乗せてくれました。これが世に言う「日立の無賃電車」であり、広く市民に親しまれました。
電気鉄道は、昭和36年(1961)05月31日に姿を消しました。55年間の歴史でした。
日立鉱山電気鉄道 電気機関車 十三号

日立鉱山電気鉄道 電気機関車 十三号

 

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