日立風流物の山車4基が戦災から復活するまで
日立風流物は、昭和20年の戦災により、山車や人形かしら(首)の大半を消失しました。
昭和33年 北町の山車が復活
昭和29年12月に「宮田風流物保存会」(後の「日立風流物保存会」)が設立されます。
先行して、昭和33年に北町の山車が復活。予算は70万円。(当時)
北町の山車は「国指定重要有形民俗文化財」になります。
山車2基が復活するも、転倒事故が発生
昭和34年には、さらに山車2基が復活します。
昭和34年にかみね公園で、日立風流物の天覧を行なったところ、本町・西町が共同運営していた山車が転倒してしまいます。
転倒の原因は、「足場が悪かったこと」、「山車の構造的な問題」、「士気の問題」が上げられました。この山車はその後利用された表記がないことと、「失った」と記録があるため、ふたたび日立風流物の山車は2基体制になってしまいました。
寄付により、残り2基の山車が復活する
昭和40年、日立市内の匿名の方から保存会に山車2基分の寄贈申し出があります。この申し出により、残りの山車2基が復元。ついに、当初からの念願であった4基体制となります。
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〔 この項おしまい 〕
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平成17年度 日立神峰神社 大祭禮 050504 ※外部サイトです
《参考文献》
- ガイドブック 日立風流物 (発行:日立市郷土博物館)
- 日立風流物 -歴史と記録- (発行:日立郷土芸能保存会)