川口川閘門の閘門の内側~土浦市街地と霞ヶ浦の区分
その昔、土浦市街地の亀城公園のお堀の水と、霞ヶ浦の水は川口川にてつながっていました。
霞ヶ浦を利用しての水運は、土浦に繁栄をもたらしましたが、大雨が降ると水位の低い土浦市街地は水かさが増してしまい、たびたび洪水をもたらしました。土浦市街地が洪水の被害に遭い、胸元まで水かさが増した中を歩いている写真が存在します。
霞ヶ浦から土浦市街地への洪水被害を抑制するために、堤防として計画されたのが常磐線の線路でした。川口川からの逆流水を防止するために設計設置されたのが「川口川閘門の鉄扉」であり、土浦市街地側に溜まった水を排出したのが「揚水ポンプ」でした。
#川口川閘門
この一段低い道路はかつて霞ヶ浦土浦入りと繋がっていた川口川を埋め立てたもの。土浦駅周辺は水位が低く、昔は駅周辺で洪水を起こしていた。
水害時、鉄扉でここを塞ぎ、ポンプで水を排出させる事で水害は減った。#土浦詣で18 pic.twitter.com/K0ezqTwS5P— 旅人幸甚 @新治郡千代田村 (@brand_kas) January 27, 2018
川口川閘門 跡
かつて亀城公園のお堀から川口川を流れ、霞ヶ浦閘門を通過して霞ヶ浦に流れ込んでいた川口川も、昭和51年(1976)に埋め立てられます。川が埋め立てられたので川口川閘門は、閘門としての使命を終えました。
昭和60年(1985)ころ、つくば市街地方面から常磐線をまたぐ高架道路「土浦ニューウェイ」建設に伴い、川口川閘門跡は土浦駅東西を通過する半地下のトンネル道路へと姿を変えました。
次に、霞ヶ浦方面から川口川閘門跡の半地下トンネルを通過し、川口川跡地に建設された「モール505」までを詳細に見ていきます。
霞ヶ浦から川口川閘門方面に進む
霞ヶ浦を背中に川口川跡を進むと、正面に見える黄色と黒の部分が常磐線の線路となります。
いまでこそ、人と車が通過する半地下のトンネルですが、かつてここに川口川が流れていたとは、想像しにくいです。
川口川閘門内部
半地下のトンネル内部は、煉瓦(レンガ)が見えます。
この積み上げられた煉瓦が、意匠(デザイン)としてのものなのか、構造上の駆体として使用されているのかは、区分が難しい。ただ、国鉄時代の常磐線のトンネルなどを見ると、レンガが良く使用されていました。
トンネルを抜けると、そこは「モール505」だった
モール505が完成した当初は賑わったようですが、周辺の商業施設(イトーヨーカドー旧土浦店、西友土浦店など)がなくなり、回遊性が薄れました。その結果、モール505は期待していた「モール」としての役割を担えておりません・・・(TT)。
モール505がオープンしたてのころを調べると、アイスクリームのサーティーワンがあるような、垢抜けたモールでした。今はコンビニで簡単に買える揚げたてのコロッケを販売していたチェーン店「コロッケのコロちゃん」も在していた時代があったそうです。
現在のモール505の2階、3階フロアには、商業施設はほとんどありません。地上階から2階に続くエスカレーターも、長らく停止されたままです。。
アクセス : 川口川閘門
名称:川口川閘門鉄扉と揚水ポンプ
※便宜上、土浦駅西口からアクセスしておりますが、東口からもアクセスできます。
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〔 この項おしまい 〕