川口川閘門の閘門の内側~土浦市街地と霞ヶ浦の区分

川口川閘門の閘門の内側~土浦市街地と霞ヶ浦の区分

川口川閘門の閘門の内側~土浦市街地と霞ヶ浦の区分

その昔、土浦市街地の亀城公園のお堀の水と、霞ヶ浦の水は川口川にてつながっていました。

亀城公園 土浦城 東櫓(復元)〔茨城県土浦市中央〕

亀城公園 土浦城 東櫓(復元)〔茨城県土浦市中央〕

霞ヶ浦を利用しての水運は、土浦に繁栄をもたらしましたが、大雨が降ると水位の低い土浦市街地は水かさが増してしまい、たびたび洪水をもたらしました。土浦市街地が洪水の被害に遭い、胸元まで水かさが増した中を歩いている写真が存在します。

「港橋」。土浦港の霞ヶ浦とつながっていた桜川は埋め立てられましたが、モニュメントとして橋のスタイルを残します。

「港橋」。土浦港の霞ヶ浦とつながっていた桜川は埋め立てられましたが、モニュメントとして橋のスタイルを残します。

土浦市街地への洪水被害を抑制するために、堤防として計画されたのが常磐線の線路でした。
川口川からの逆流水を防止するために設計設置されたのが、「川口川閘門の鉄扉」であり、水を排出した「揚水ポンプ」でした。

川口川閘門の水門とポンプ常磐線の線路を堤防(堰)とし、川口川に水門を設け、漏れてくる水をポンプで排水することで、土浦市街地の水害を防ぐことに成功しました。

川口川閘門の水門とポンプ
常磐線の線路を堤防(堰)とし、川口川に水門を設け、漏れてくる水をポンプで排水することで、土浦市街地の水害を防ぐことに成功しました。

 


川口川閘門 跡

かつて亀城公園のお堀から川口川を流れ、霞ヶ浦閘門を通過して霞ヶ浦に流れ込んでいた川口川も、昭和51年(1976)に埋め立てられます。川が埋め立てられたので川口川閘門は、閘門としての使命を終えました。

昭和60年(1985)ころ、つくば市街地方面から常磐線をまたぐ高架道路「土浦ニューウェイ」建設に伴い、川口川閘門跡は土浦駅東西を通過する半地下のトンネル道路へと姿を変えました。

ここでは、霞ヶ浦方面から川口川閘門跡の半地下トンネルを通過し、川口川跡地にできた「モール505」までを詳細に見ていきます。

霞ヶ浦から川口川閘門方面

正面に見える黄色と黒の部分が、常磐線の線路となります。
いまでこそ、人と車が通過する半地下のトンネルですが、かつてここに川口川が流れていたとは、想像しにくいです。

歩行者側(左)と車両側(右)で高さが異なる。

歩行者側(左)と車両側(右)で高さが異なる。

 

川口川閘門内部

内部は煉瓦(レンガ)が見えます。
意匠(デザイン)としてのレンガなのか、構造上の駆体としてレンガが使用されているのかは、区分が難しい。ただ、国鉄時代の常磐線のトンネルなどを見ると、レンガが良く使用されていました。

川口川閘門内部の側面を見ると、煉瓦が積まれてる。

川口川閘門内部の側面を見ると、煉瓦が積まれてる。

トンネルもそれなりに古いので、鉄骨で補強されています。

トンネルもそれなりに古いので、鉄骨で補強されています。

トンネルを抜けると、そこは「モール505」だった

モール505が完成した当初は賑わったモール505も、周辺の商業施設(イトーヨーカドー旧土浦店西友土浦店など)がなくなり、回遊性が薄れました。その結果、モール505は期待していた「モール」としての役割を担えておりません・・・(TT)。

半地下トンネルを抜けて土浦市街地側に出ると、そこはモール505でした。

半地下トンネルを抜けて土浦市街地側に出ると、そこはモール505でした。

モール505がオープンしたてのころを調べると、アイスクリームのサーティーワンがあるような、垢抜けたモールでした。今は、2階、3階フロアなどは商業施設はほとんどありません。また、2階に続くエスカレーターも、長らく停止されたままです。。

 

アクセス : 川口川閘門

名称:川口川閘門鉄扉と揚水ポンプ
 ※便宜上、土浦駅西口からアクセスしておりますが、東口からもアクセスできます。

 

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〔 この項おしまい 〕

 

 

 

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