稲敷の大相撲横綱 稲妻雷五郎~稲敷市立歴史民俗資料館_茨城県稲敷市
新利根川の茨城百景包含風景を探索する旅、「新利根川の茨城百景20」。
稲敷市立歴史民俗資料館の稲妻雷五郎像
道中、稲敷市立歴史民俗資料館〔茨城県稲敷市〕に立寄りました。
敷地内にはひとつの大きな銅像。
「第七代横綱 稲妻雷五郎像」と記されています。
横綱稲妻雷五郎は本名を根本才助と言い、1802年(享和02年)常陸国河内郡阿波崎村(現 稲敷市)で生まれました。佐渡ヶ嶽部屋に入門後、錦嶋部屋へ移籍し、松江藩抱えの力士となりました。
1821年2月場所で初土俵を踏んだ後、1824年10月場所で新入幕。1825年1月場所で小結に昇進後、1827年大関へ昇進しました。1830年に横綱となり、江戸時代後期の相撲黄金時代を築きました。
また、力士の粗暴を戒め、精神の鍛錬を進めた「相撲訓」を著し、死去する直前に「稲妻の 去り行く空や 秋の風」と残す程の風流人だったと伝えられています。
稲妻茶屋:稲敷市立歴史民俗資料館
稲妻雷五郎にちなんだ休憩所。
稲妻雷五郎像:稲敷市立歴史民俗資料館
松田光博作、ブロンズ像。
横綱の手形:稲敷市立歴史民俗資料館
稲妻雷五郎像の周囲には、各時代の横綱の手形が設置されています。
アクセス:稲敷市立歴史民俗資料館
茨城県(常陸国)生誕の横綱は4名
茨城県(常陸国)が生んだ横綱は、現在まで4名誕生しています。
- 稲妻雷五郎 1802-1877
- 常陸山谷右衛門 1874-1922
- 男女ノ川登三 1903-1971
- 稀勢の里 寛 1986-
稀勢の里関(現 荒磯親方)は牛久市出身(龍ケ崎市)で、つい最近まで横綱でした。
水戸市で確認できる、常陸山谷右衛門
稲敷市(常陸国河内郡阿波崎村)が生んだ横綱が稲妻雷五郎だとしたら、水戸市(東茨城郡)が生んだ横綱は常陸山谷右衛門です。
常陸山谷右衛門横綱の方が、よく知られているのでしょうか?
常陸山の碑
また、JR水戸駅近くの水戸東照宮〔茨城県水戸市宮町〕境内には、「常陸山の碑」があります。
水戸市東照宮 アクセス
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〔 この項、おしまい 〕
新利根川の茨城百景20~佐原の町並み 200712