〔ぶらり茨城 2nd. 序章〕 クーちゃんと俺。

ぶらり茨城2nd.._序章_クーちゃんと俺。
ちょっとまだ未完成。
適宜、書き足したり、修正していきます。

俺が小学生の頃、千代田村のいとこのところへ、夏休みや年末年始の長期休暇はずっと通っていました。(土浦市内で生まれた俺は一時期、この千代田村に数年間住んでいました。いとこも近くに住んでいて、家があります。)

長期休みのときにいとこのところに訪れると、たまに土浦の京成百貨店に買い物に連れて行ってもらい、最上階のゲームコーナーで遊んだり、土浦港〔茨城百景 霞ヶ浦と土浦港〕のヨットハーバーのゴーカートで遊んだり、併設された軽食レストラン「ランデブー」で食事をしたり。
夏は、土浦港にあった土浦京成ホテルの併設プールに連れて行ってもらったこともあります。〔京成ホテル→水郷潮来あやめまつり2003と、土浦の町並み
俺は、この茨城を体験した「茨城」という場所や、いとこの家のことを総称として「田舎(いなか)」と呼んでいました。ここから「田舎」と称します。

中学生になり、部活などで忙しくなると、田舎へは足が遠のいてしまいました。

成人になり働くようになり、仕事に疲れたある日、ふと小学生のころ通っていた田舎を思い出しました。
あの田舎へは、どうやって行くんだろう?
常磐線に乗っていくような気がする。

一応、車の免許証は持っているんだけど、車の運転はニガテ。
パソコンやプラモデルのようなものをいじったり、ばらしたり、組み立てたりするのは得意なのですが、車の運転だけはどうしても理解できない。。免許取り立てのとき、ブレーキをしっかり踏み切らず、スゥーッと前の車におかまを掘ったときは、「ああ~、俺は車の運転は向いていない人なんだな」と確信してしまいました。

小学生だったころは親が車を運転し、田舎に訪問していたので、具体的な田舎への訪問の仕方というのを知りませんでした。そしてまだ2000年あたま当時は、インターネットも黎明期。今のようにネットルート検索や地図検索、地方の情報がサイトにまとめられていなかったりして、情報が少なく不便な時代でした。

このころは接客業の仕事をしていて、土日に休むことは出来ず、平日に休みがあるような生活でした。

ある平日の休日(2000年)、少ない情報を元に電車に乗り、茨城を目指しました。目的地は、小学生のころに一度だけ連れて行ってもらった、科学万博が開催されたつくば市です。

この当時のつくば市はまだ、つくばエクスプレス(TX)は開業しておらず、陸の孤島。
万博中央駅の跡地にできた、真新しいひたち野うしく駅(02 あこがれの万博中央駅)に降り立ち、バスに乗り、つくば市をめざしました。

常磐線 ひたち野うしく駅に降り立つ若きときの幸甚氏(今も若い)

常磐線 ひたち野うしく駅に降り立つ若きときの幸甚氏(今も若い)

この時の模様が、「つくば訪問道中記」です。
まだ、茨城が精神的、地理的に遠いと感じていた時代、俺の「意を決した旅」でした。

この「つくば訪問道中記」を皮切りに、茨城県をもっともっと知りたくなり、茨城県内各所に足を運ぶようになりました。

茨城に足を運んだ、2000年から2006年の6年間。
茨城県内各地をまわり、茨城の自然、文化、歴史、を見て確認しました。
このときの記録が、『いばらきだいすき』(ファーストシーズン)です。(→「ファーストシーズン」の旅の模様は現在、「Re:ぶらり茨城」としてリメイク更新中)

2006年ころ、生活スタイルが変わってしまったことや、このとき採用していた旅の移動手段(電車、バス、徒歩)において、行動範囲の限界を感じていたこともあり、茨城から足が遠くなってしまいました。
また、ワン(ヨークシャテリア)を飼い始めたことも、茨城に行くことが減ってしまった要因です。

時は過ぎ2015年、空前の自転車漫画ブーム(ろんぐらいだぁす、弱虫ペダル、じこまん など)に乗るような形で、ロードバイク〔CANNONDALE CAAD10〕を購入。
〔ロードバイクのきっかけに触れている→ GARMINのサイコン Edge1000jがぶっ壊れた~(汗

 

しかし、可愛がっていたワン(クーちゃん)が亡くなってしまいました。

 

 


 

〔幸甚〕仏壇に手を合わせる俺。

仏壇には、犬の遺影。名前はクー。

クーはヨークシャテリア犬。
2006年に飼い始めた。
最初はポケットに入るほどの、ちびちび犬だった。
体重は3kgぐらいまで成長した。

散歩もたくさん行ったし、ボール遊びもたくさんした、おやつもたくさんあげた。
だけど、去年2015年、クーは老衰で眠るように亡くなってしまった。。

ちょっと心に穴が開いた感じ。
クーが死んでしまってからは、何もする気が起きない。

そこに神々しく現れる、一人の男の光明。
光臨が差し、その姿は定かではない。

神々しく現れる、ひとりの男?

神々しく現れる、ひとりの男?

 

〔??〕幸甚、久しぶりだな。

〔幸甚〕あ!あなたは、茨城県県南を愛した、常陽新聞社 創業者、岩波健一社長!? ※注・・・岩波健一は昭和59年(1984)に亡くなっている。

〔岩波社長〕幸甚、最近はどうしている。

〔幸甚〕ちょっと、何もやる気が起きない感じです。

〔岩波社長〕今は、茨城には、行っていないのか? 一時期、かなり通い詰めていただろう。

〔幸甚〕この前、自転車を買って具合が良いので、今度の3連休、自転車旅をやってみようと思っています。

「自転車 ガンキャノンデールと共に旅に出る幸甚」の図

「自転車 ガンキャノンデールと共に旅に出る幸甚」の図

〔岩波社長〕ならば、これを連れて行くと良い。
両手で抱えられた、一匹の子犬。あ、あれは!?

この犬を連れて行くといい」と差し出された。

「この犬を連れて行くといい」と差し出された。

〔幸甚〕クーちゃん!?

〔クー〕クゥ~。

〔幸甚〕クーちゃん、生きていたの~!?(泣)
(クーを抱きしめる)

〔クー〕苦しいっぺ。

〔幸甚〕ワワワ! クーちゃんが喋った!?

クーちゃんに怒られる幸甚<br>クー「ぎゅーってやったら、痛いっぺ。。」

クーちゃんにたしなめられる幸甚
クー「ぎゅーってやったら、痛いっぺ。。」

〔岩波社長〕その犬は、私がよみがえらせた。
犬ではない。天使?妖精?そのようなものだ。
茨城のことについて、知識が備わっている。
幸甚、今こそ再び、そのクーを連れて、茨城を旅しなさい。
そして、『茨城』とは何か?
それを探し出しなさい。

〔幸甚〕ええ!?
「茨城とは何か?」って、何~??

言い終わるかどうかのタイミングで、岩波健一は消えてしまった。

残されたクーと俺。

〔クー〕ク~。
とりあえずコージン、もう一度、茨城に行ってみっぺ。
そして、「茨城とは何か」を探すっぺよ。

〔幸甚〕(ひどい茨城弁だな。。まあ、いいや)
面白そうだ。
もう一度、茨城を旅して、「茨城とは何か」を見つけてみよう!

こうして、俺とクーの、「茨城とは何か」の旅が始まることになりました。

いばらきだいすき セカンドシーズン
再始動。