茨城百景 砂沼
茨城百景 名称 | 砂沼 |
読み方 | さぬま |
包含風景 | 下妻城址,光明寺,千勝神社,四体仏 |
地域 | 茨城県下妻市 |
碑の現存 | 現存する |
実際の碑への記載 | 砂沼 |
説明 | |
関連リンク | #火渡りの旅20 200209 #ぐるり茨城17 170503 茨城王 講演会 ~いばらぎじゃなくていばらき しもづまじゃなくてしもつま~ 041017 |
注釈 | 2004年10月の段階で、茨城百景 砂沼は二つに折れていることを確認している。現在(2018年)建立している茨城百景碑は、少なくとも“二代目”であると考えられる。 |
茨城百景 砂沼
茨城百景「砂沼」〔茨城県下妻市長塚〕は、関東鉄道常総線 下妻駅から西へ500mの場所にあります。
周囲は約6キロメートル、最大水深は3メートル。農業用のため池として整備されました。砂沼の地形を利用し「砂沼広域公園」として整備。かつてはプール「砂沼サンビーチ」がありましたが、平成30年で廃止されてしまいました。
茨城百景 包含風景 下妻城址
茨城百景 下妻城址とは、「多賀谷城址」〔茨城県下妻市本城町〕のこと。
史跡「多賀谷城本丸跡」(下妻市 市指定文化財)
旧名 下妻城
多賀谷氏は、初代氏家が現在の多賀谷城跡公園の一部に本丸を構えました。周囲を小貝川、鬼怒川、大宝沼という天然の要害に囲まれた堅固な城で、戦国時代は隣国豪族を攻めて、その勢力下に置くほか、小田原北条氏政勢の再来を撃退するなど七代にわたり147年間下妻城主として上層地方に栄えていました。
多賀谷重経(しげつね)時代、関ヶ原の戦いに参陣しなかったため、徳川家康に下妻領6万石を没収され、追放。流浪の末。彦根で没します。
茨城百景 包含風景 光明寺
「光明寺」〔茨城県下妻市下妻乙〕は、関東鉄道常総線 下妻駅から南西200mの場所にあります。和田義盛の乱(1213)で落人になった三浦義忠は、小島で親鸞の弟子となります。法名を明空(みょうくう)とし、光明寺を創建しました。
親鸞お手植えの菩提樹(市指定文化財/天然記念物)があります。長塚節は「うつそみの人のためにと菩提樹を ここに植ゑけむ人の尊さ」と詠みました。
茨城百景 包含風景 千勝神社
「千勝神社」〔茨城県下妻市板井〕は関東鉄道常総線 下妻駅から北東へ約2キロの場所にあります。祭神は猿田彦。
茨城百景 包含風景 四体仏
「四体仏(したいぼとけ)」〔茨城県下妻市小島〕は、関東鉄道常総線 下妻駅から東南600m程の場所にあります。小島草庵跡には、親鸞が手植えしたとされる大銀杏の木があり、その裏手の五輪塔が「四体仏」と呼ばれています。
この小島の地は、越後流罪が許された親鸞が東国に移り、最初に居住した場所です。建保12年(1214)、小島郡司武弘に妻子とともに招かれた親鸞は、3年間にわたり草庵三月寺(さんげつじ)で、浄土真宗の布教に務めたとされます。