茨城の観光地のひとつである霞ヶ浦にはその昔、土浦-潮来間の連絡船が走っていた時代がありました。連絡船は車社会化の流れで廃れ、廃止になりました。
そんな時代背景の中、科学万博-つくば’85のあった1985年(昭和60年)、土浦-潮来間に高速連絡船が就航しました。しかし、経営不振で1年足らずで再び廃止となってしまいました。
土浦の観光を考える時に、霞ヶ浦をはずすことはできません。
霞ヶ浦を考える時に、潮来をはずすこともできないでしょう。少なくとも、この目で確認をしないで潮来を「切り離す」ことは危険な行為です。
成田線で成田駅に向かう
時刻は13時を回ったところ。
時間が間に合うか自信がありませんでしたが、「行動なくして進展なし」。家を出発することにしました。
新松戸駅で常磐線に乗り換えて、我孫子駅まで。
我孫子駅では20分ほど電車待ちになってしまったので、我孫子駅周辺を少しだけぶらつきます。
成田線 成田駅方面行きが出発を迎えます。
我孫子駅-成田駅間の成田線は部分的に複線で、ほとんどが単線。途中の駅には目立った大きな施設が無いようです。我孫子方面から成田(成田空港)方面へ接続する事が、主たる目的のように感じます。
我孫子駅から乗車時間30分ほどで、成田駅に到着。
成田駅 国際線成田空港への接続駅
成田駅と言っても成田空港自体は、ここからさらに先。思っていたより大きくない駅にギャップを感じます。
改札を抜け、成田駅周辺を少しだけ歩きます。そうかぁ、成田山にお参りする話をよく耳にしますが、あの成田山はここから行くことができるんですねー。
京成成田駅も確認しました。JR成田駅と京成成田駅はちょっと距離が離れています。都心や各方面向けに高速バスも就航しているようです。
しばらくぶらついた後、JR成田駅に戻ります。
潮来駅へ向かうため、鹿島線 佐原駅まで移動する
今回の目的地である潮来方面に向かうため、再び成田線に乗車します。潮来駅に行くためには、佐原駅で鹿島線に乗り換えるようです。
ここ成田駅で乗り込んだ電車は、113系の古めかしい車両でした。
佐原駅で鹿島線に乗換えようとしたが!!
佐原駅に着くまでは、すべてが計画通りでした。
16時ころ。佐原駅に到着。
次の電車まで“ちょっと”時間があるようなので、駅そばでたぬきうどんを食べることにしました。しょっぱめのつゆが私好み♪ 茨城、千葉の駅そばは、つゆにはずれが少ないですねー。などと感心していたら、電車の時間のようです。16時16分出発の鹿島線がある3番線に向かいます。
ところがどうも様子がおかしいのです。停車している電車がまったく動く気配がありません・・・。
よくよく時刻表を確認すると、「16時16分出発」ではなくて、「17時16分出発」なのです・・・!!。うえー、この先さらに1時間も電車が来ないー・・・(涙)。こんな仕打ちなんてひどい・・・。泣く泣く佐原駅で小一時間待ちましたとも!
暗闇の潮来駅にたどり着く。。。
17時16分に佐原駅を出発した鹿島線。辺りはすっかり日が落ち、真っ暗になってしまいました・・・。まいったなあ、これじゃ潮来に着いても、たいして活動ができないです・・・。
17時30分。潮来駅に到着します。
うーん、辺りは真っ暗。潮来駅ホームは特に観光地らしいつくりでもありません。とりあえず駅を出ましょう。すでに駅周辺は“閉店モード”。地方の夜は早いです・・・。
潮来に返り討ちにされる。。。
潮来駅前にあった地図で、潮来の遊覧船乗り場を確認。夜道を歩くことにしました。ところが歩けど歩けど、霞ヶ浦に続くであろう川にたどり着きません。
潮来駅から20分ほど歩きましたが、川にはたどり着けず、断念。潮来駅に戻ることにしました。往復で40分です・・・。
後で分かったことですが、私は目的地方面の川とはまったく逆の方向に歩いていたようです。川に向かうどころか、川からどんどん離れて行っていたようなのです・・・。
夜道って方向感覚を失わせます・・・(大涙)。
悲しみの佐原駅0番線
18時50分。潮来駅から佐原駅に戻ります。
潮来駅に戻る道中に見つけたケンタッキーフライドチキンで購入した、チキンフィレサンドセットを電車の中で食します。
成田線で成田駅に戻り、乗り換え。我孫子駅へ。
我孫子駅から柏駅に向かい乗り換えます。
帰りの道中、誓います。
次回こそ、潮来駅を攻略しようと思います・・・。 【完?】
【 まだスマートフォンが無かった時代 】
潮来に到着し、船の乗り場である潮来港に向かうだけの話なのに、半分遭難しかけた、と言うストーリーです。
今の時代だったら、「行きたい場所なんてスマホで調べれば一発じゃん」と言われそうな話です。
さらには、スマホの地図機能はナビもしてくれますから、潮来駅前から道に迷うなんて、信じてもらえず、理解もしてくれない話かと思います。
この時代、2002年はまだスマホが登場していません。
せいぜいガラケーです。ガラパゴス携帯とも言うのか。
当時のガラケーにも地図機能はありましたが、拡大縮小は思うように動かないし、地図のスクロールもスムーズではありませんでした。ピンチイン、ピンチアウト、何て言う操作方法も、スマホができてから生まれた操作方法です。
スマホ、iPhoneは初代が2007年に誕生しました。
なので、その5年前にはスマホは無かったので、知らない土地に行く時は良く、事前にパソコンで地図を調べ、その地図をプリントアウトして持って行きました。
ここ潮来でも一度遭難しかけていますが、この後も再び遭難しかけそうになります。なので翌年の2003年に、GPS(Garmin社/いいよねっと)を購入したりしたのでした。
こいつがまた、衛生をなかなかつかんでくれず、使いづらかったのですが、その話はここではしません。。。
このページは、2002年11月03日に取材した内容に基づき、2003年03月13日に書かれています。本文は当時の原稿を加筆修正している関係で、初出典時と写真や表現が異なる場合がございます。