04 常磐線 万博中央駅にあった記念碑の行方 その6

常磐線_万博中央駅にあった記念碑の行方_6

万博中央駅の記念碑の行方123456完結編


 

科学万博つくば’85国際科学技術博覧会/EXPO’85)で、国鉄常磐線に臨時に設置された万博中央駅
万博終了後、壊されてしまった駅舎跡には「記念碑」が設置されました。
科学万博閉幕の1985年(昭和60年)から13年後の1998年(平成10年)、万博中央駅とほぼ同じ場所にひたち野うしく駅が建てられた時、その「記念碑」の行方が分からなくなってしまいました。

再び、牛久市役所に問い合わせる

牛久市役所(茨城県牛久市)の方に教えていただいた情報を元に、茨城県立図書館(茨城県水戸市)にて万博中央駅跡地「記念碑」の資料を見つけることができました。
ここまで来ると、本物の「記念碑」を拝みたいものです。無理を承知で、牛久市役所の方に「記念碑」を見せていただけないかと、メールを送ってみました。

 

取材の返事が来た!

メールを出してすぐの(2001年)06月08日、牛久市企画部秘書広聴課のNさんより返事のメールがきました。

内容は、「06月11日(月)にご来庁ください。記念碑は屋外に保管していますので、悪天候の時には変更された方がよろしいかと思われます」との趣旨でした。
ついに「記念碑」が拝める!。そう思うと、胸がときめくものです。

 

牛久市役所に訪問

牛久市役所に訪問しました。耐震補強の工事中です。<br>2001年06月11日訪問

牛久市役所に訪問しました。耐震補強の工事中です。
2001年06月11日訪問

アポイントメントを取った06月11日に、牛久市役所を訪問しました。訪問先は牛久市企画部秘書広聴課です。階段を上って2階になります。
2階の広聴課にてNさんにお会いすることができました。
早速、関連部署に案内してくれました。

 

万博中央駅 跡地にあった「記念碑」は市役所の屋外に

青いビニルシートにかけられている、こちらが常磐線万博中央駅跡地にあった記念碑です。

青いビニルシートにかけられている、こちらが常磐線万博中央駅跡地にあった記念碑です。

関連部署の方と、広聴課のNさんとともに、屋外のシートがかかっているところまで案内してくれました。やや、このシートは前回訪問したときにもあったものだぞ。

 

ついに万博中央駅跡地にあった「記念碑」を発見する!!

結んであったロープをほどき、シートをどかしてもらうと、あの「科学万博-つくば’85」の三角のシンボルマークが見えます。

結んであったロープをほどき、シートをどかしてもらうと、あの「科学万博-つくば’85」の三角のシンボルマークが見えます。

「記念碑」の全体像が見えてきました。

「記念碑」の全体像が見えてきました。

連続写真にて、記念碑をつなげてみました。碑の上に乗っての撮影である事はご勘弁を・・・。一応、靴は脱ぎましたので。。

連続写真にて、記念碑をつなげてみました。碑の上に乗っての撮影である事はご勘弁を・・・。一応、靴は脱ぎましたので。。

ついに、『万博中央駅跡地にあった記念碑』を発見しました。「記念碑」および、「土台」は健在です。
これらは平成15年(2003年)に完成予定の牛久市西公園(仮称)に再び設置される予定だそうです。それまではしばらく、ここに保管されます。

 

写真に撮った記念碑では、文面がわかりにくいので、作りました

紆余曲折を経て、たどりついた万博中央駅跡地にあった記念碑
写真に収めることはできましたが、何が書いてあるのかはわかりにくいはず。

そこで手元にある資料をもとに、再現データを作りました。

常磐線 万博中央駅跡地にあった記念碑 『飛翔』<br>(イラストをクリックすると、大きい画像が開きます)

常磐線 万博中央駅跡地にあった記念碑 『飛翔』
(イラストをクリックすると、大きい画像が開きます)

常磐線 万博中央駅跡地にあった記念碑 文章

EXPO’85
飛翔
牛久町長 大野正雄書

かつてここに、万博中央駅があった。
国際科学技術博覧会“科学万博-つくば’85”が、
筑波研究学園都市で開催されたのは、一九八五年で
あった。我が国の科学技術のメッカ筑波研究学園都
市、および我が茨城の名を内外に高らしめるため
竹内藤男県知事、横田栄一県議会議長らが中となっ
て運動した全県民の熱意が、実を結んで実現した
もので、「人間・住居・環境と科学技術」のテーマ
のもと、科学の先端技術を駆使して出展されたパビ
リオンは、国内、国外から八十を数えた。
三月十七日から九月十六日までの六ヶ月の開催期
間中に、会場を埋めた観客は二千万人を超える盛況
で、このうち三百八十余万人が、牛久町大字中根字
鳴神、原田、兎谷津地内に、臨時に設置された常磐
線万博中央駅を利用した。
万博中央駅の敷地面積は九.八ヘクタールに及び、
さらに復員三十四メートルの学園西大通り線が延伸
され、万博中央駅から西大通りを通じて会場まで、
日本で初めて連接バススーパーシャトルバスが運行し、
観客輸送の主役を担った。
万博中央駅はまさに、科学万博-つくば’85の表玄
関としての役割を果たし、牛久町の面目を遺憾なく
発揮した。世紀の祭典成功の一翼を担った。“万博中
央駅”の栄光を称えるため、ここに碑を建立して、
永く記念とするものである。

昭和六十一年五月八日
万博中央駅跡記念碑建立委員会

碑に掲載されていた縦書きによる文字の使い方、改行などを忠実に守り文字に起こしました。
また、本文中「連接バス」の表記がありますが、正しくは「連節バス」となります。原文を生かし、修正しませんでした。

 

常磐線 万博中央駅跡地にあった記念碑 文章

EXPO’85
飛翔
牛久町長 大野正雄書

かつてここに、万博中央駅があった。

国際科学技術博覧会“科学万博-つくば’85”が、筑波研究学園都市で開催されたのは、1985年であった。我が国の科学技術のメッカ筑波研究学園都市、および我が茨城の名を内外に高らしめるため竹内藤男県知事、横田栄一県議会議長らが中となって運動した全県民の熱意が、実を結んで実現したもので、「人間・住居・環境と科学技術」のテーマのもと、科学の先端技術を駆使して出展されたパビリオンは、国内、国外から80を数えた。

03月17日から09月16日までの6ヶ月の開催期間中に、会場を埋めた観客は2000万人を超える盛況で、このうち380余万人が、牛久町大字中根字鳴神、原田、兎谷津地内に、臨時に設置された常磐線万博中央駅を利用した。

万博中央駅の敷地面積は9.8ヘクタールに及び、さらに復員34メートルの学園西大通り線が延伸され、万博中央駅から西大通りを通じて会場まで、日本で初めて連接バススーパーシャトルバスが運行し、観客輸送の主役を担った。

万博中央駅はまさに、科学万博-つくば’85の表玄関としての役割を果たし、牛久町の面目を遺憾なく発揮した。世紀の祭典成功の一翼を担った。“万博中央駅”の栄光を称えるため、ここに碑を建立して、永く記念とするものである。

昭和61年05月08日
万博中央駅跡記念碑建立委員会

碑に掲載されていた縦書きによる文字を横書きし、文章に合わせ、改行しました。また、数字をアラビア数字にして読みやすくしたバージョンとなります。
本文中「連接バス」の表記がありますが、正しくは「連節バス」となります。原文を生かし、修正しませんでした。

 

 

万博中央駅の記念碑の行方123456完結編


 

このページについて

このページは、2001年06月11日に取材した内容に基づいて書かれています。
また、本文は当時の原稿を加筆修正している関係で、初出典時と写真や表現が異なる場合がございます。

初出展時のタイトル
04 常磐線 万博中央駅の跡地に置かれていた記念碑の行方

 

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