公式に再建された茨城百景 山ノ荘
昭和25年(1950)05月10日、茨城観光審議会が茨城県内の100の景勝地を制定しました。
該当する場所には茨城百景碑が設置されました。
茨城百景碑が建立されてから今年2020年(令和02年)で、70年の年月が経過したことになります。
この70年間の間に消失した碑もあれば、何らかの事情で移設(移動)した碑も存在します。
今回は、道路拡張工事でいったんは破損したものの、無事に再建された茨城百景 082 山ノ荘を取り上げます。
山ノ荘とは
正しい読み方は「やまのしょう」です。「やまのそう」は間違った読み方です。
茨城百景の登録上は「山ノ荘」と書かれますが、「山の荘」と記載されることもあります。
筑波山山麓の南側である土浦市(旧 新治村)の小高、東城寺、小野、本郷、永井、大志戸の山里を総じて「山ノ荘」と呼びました。平安藤原時代に荘園として栄えました。
茨城百景 082 山ノ荘
茨城百景 082 山ノ荘は、日枝神社〔茨城県土浦市小野〕境内に存在します。
アクセス:日枝神社
日枝神社は、公共交通機関では最寄りの駅が存在しません。
JR土浦駅からのルートを下記に記します。
茨城百景碑 山の荘 には「再建された」の文字
碑には、以下のように茨城百景が再建された理由が記載されています。(原文ママ)
茨城百景山の荘は当時の茨城県知事友末洋治の発想により終戦後の人心安定の為県内景勝地百ヶ所を選び決定され山の荘村も入選したので村議会の決議により記念碑を大志戸地内二本松に建設しましたが折悪しく道路工事の為破損再建する事になりました。
日枝神社の流鏑馬
毎年04月の第一日曜日に、日枝神社の参道で流鏑馬(県指定無権民俗文化財)が行われます。
一般的に「流鏑馬」は、馬を走らせ(歩かせ)ながら弓を射ります。日枝神社の流鏑馬は、「いたずらする猿を確実に射止める」ことを目的とし、確実に猿を射るため、馬を停止させてから射ります。
ゆうもあ村(廃業/廃園)
旧新治村界隈にはかつて、娯楽施設「ゆうもあ村」が存在しました。
ワタクシも幼少のころ、何度か親戚に連れられてゆうもあ村に来たことがあります。
ゆうもあ村園内には温泉施設ラドン温泉や宴会場、メダルゲームなどがあった記憶があります。
また、リアルタイムにアスレチックコース(忍者屋敷?)が完成した時期で、いとこが「ゆうもあ村にアスレチックコースができたんだよ!」って教えてもらったことを覚えています。
また、ゆうもあ村がすでに閉鎖された後にもかかわらず、かつての土浦市街地では「ゆうもあ村への案内モニュメント」が散見されました。以下の写真の案内板は、2020年現在、存在しないと思われます。
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