茨城百景 水の里安中はかつて「水の里」だった(らしい)
茨城百景 076 水の里安中
「水の里安中」の「安中」は、安中榛名の「あんなか」と読むのではなく、「あんじゅう」と読みます。
アクセス:茨城百景 水の里安中
茨城百景碑は、(社)美浦村シルバー人材センター〔茨城県稲敷郡美浦村大字間野〕の入口の高台の上にあります。
JRのような公共交通機関の目線からは、最寄り駅、アクセス駅に該当する駅は指定することが難しいです。
「水の里」、しかし周辺は・・・
茨城百景碑が設置された辺りを見渡すと、「水の里」と呼ばれるほどの水の気配を感じることができません。
茨城百景碑から東へ600m。小高い丘に盛り上がった地形は、国指定史跡である陸平貝塚(おかだいらかいづか)〔茨城県美浦村土浦〕があり、美浦村文化財センターがあります。
「陸平」などと、「陸←→海」の対義語的な名称ではありますが、「水の里」をイメージするにはほど遠い感じがします。
かつて、霞ヶ浦の水がすぐそこまで来ていた!(らしい)
茨城百景 水の里安中の碑がある場所には、水の気配が感じられません。しかし、かつてすぐそこまで、霞ヶ浦の水が来ていたのでした。
茨城百景が制定された昭和25年(1950)。
「水の里安中」として制定されたエリア現在の美浦村大字土浦においてはまだ、霞ヶ浦の入り組んだ湖岸に、霞ヶ浦が広がっていました。1060年台から70年代にかけて、この安中地域にも干拓がすすみ、埋め立てられました。
空から眺めると、かつて「水の里安中」とたたえられた霞ヶ浦の湖岸が見て取れます。
霞ヶ浦から緩くUの字を描くようなカーブが、かつての霞ヶ浦の湖岸でした。
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